1979年(昭54)に志半ばにして廃刊となった「幻影城」には、予告されたまま発表されなかった作品や、刊行されなかった単行本が数多くありました。そのなかで予告されたまま未発表になっていた作品や単行本、「幻影城」廃刊と同時に中絶になった長編や連作短篇について以下に挙げ、短くコメントをつけてみました。
個人的には、島崎博氏の「日本推理作家書誌」は是非この手にしたかったという思いです。津井手郁輝氏の「日本本格推理作家の系譜」など、「幻影城」が生んだ評論家の著書も同種の評論は決して多くはないだけに実現せず、残念に感じています。
なお、未刊行の書籍については、ここに挙げた以外にも「幻影城ミステリ」や「別冊幻影城」など、再編集ものでありながら特色ある企画を予定していたものがあります。しかし、ここでは書き下ろし、もしくは初出誌が「幻影城」の作品に限らせていただいております。関連:未刊行リスト
「探偵作家尋訪記」鮎川哲也
「幻影城評論研究叢書」の一冊として予告されていた単行本。「問題小説」の連載と書き下ろしを加え、1985年(昭60)に「幻の探偵作家を求めて」と表題を変更し、晶文社より刊行。ただし、「幻影城」1976年(昭56)9月号(No.22)に掲載された「含羞の野人・紗原砂一」は未収録になっている。なお、「新・探偵作家尋訪記」がその後、光文社の「EQ」に連載され、一部が「こんな探偵小説が読みたい」として1992年(平4)に晶文社より刊行されている。「亜愛一郎の驚愕」泡坂妻夫
最終号である「幻影城」1979年(昭54)7月号(No.53)に「連作・亜愛一郎の驚愕」の第四話である「争う四巨頭」が掲載された。その後、亜愛一郎シリーズは「野性時代」「小説推理」などに舞台を移して10作品が書き継がれた。
「連作・亜愛一郎の驚愕」は、「連作・亜です、よろしく」の第五話以降の作品と、「野性時代」に掲載した二作品を合わせて、1982年(昭57)に角川書店より「亜愛一郎の転倒」として刊行。「選択」石沢英太郎
「幻影城」1976年10月号(No.23)に掲載されるとして、前月号の次号予告に掲載されていた。「1977年期待の新人」大内茂男
「幻影城」1977年5月号(No.30)、または1977年6月号(No.31)に掲載されるとして、それぞれの前月号の次号予告で掲載されていた。「長篇推理小説の研究」大内茂男
「幻影城」1978年8月号(No.45)および1978年9月号(No.46)に掲載されるとして、それぞれの前月号の次号予告で掲載されていた。「探偵小説55年の功罪 昭和20年代」大内茂男
「幻影城」1979年1月号(No.50)に掲載されるとして、前月号の次号予告に掲載されていた。「幽霊組合員」香住春吾
「幻影城ノベルス」の一冊として予告されていた単行本。「幻影城ノベルス」刊行の最初期から予告されていたものの、実際には執筆されなかったらしい。「裸舞&裸婦奇譚」狩久
正式な刊行予告ではなく、「幻影城」1978年(昭53)1月号(No.38)の狩久追悼特集に掲載された「狩久さん再見」(島崎博)の文中で触れられている狩久の遺作長編。「幻影城」廃刊時に原稿が行方不明になったまま。一時期、台湾にて「別冊幻影城」の続巻が一冊だけ出版されるという噂がインターネット上で流れたらしい(実際に台湾のミステリファンが島崎博氏に確認したところ、事実ではないことが判明したのだが)。ここからは私の空想だが、「裸舞&裸婦奇譚」は今でも島崎博氏の手元に保管されており、それが「別冊幻影城」の続巻として出版されるという噂の元になった、もし、そうだったら出版の道が閉ざされてしまったわけではなく、嬉しいことなのだが。初刊行が台湾でなされ、それが日本に逆輸入というのも楽しい空想である。「叢林の女」狩久
「幻影城ノベルス」の一冊として予告されていた単行本。「不必要な犯罪」と改題され、刊行。「23世紀革命」京堂司
「幻影城」1978年9月号(No.46)に掲載されるとして、前月号の次号予告で掲載されていた。「アガサ・クリスティ殺人事件」河野典生
「幻影城」1979年(昭54)5月号(No.51)に第二回までが掲載された連載長編。「幻影城」最終号であるNo.53の「編集者断想」には「他社の単行本化の期日的な関係で、やむなく連載を中止」と記されている。しかし、実際に続きが書き継がれて単行本化されたのは約4年後の1983年(昭58)になってからであり、祥伝社ノン・ノベルより刊行された。「歌う男」河野典生
「幻影城」1978年11月号(No.48)に掲載されるとして、前月号の次号予告で掲載されていた。実際に河野典生が「幻影城」に連載したのは、「アガサ・クリスティ殺人事件」になる。「タイムトラベルロードショウ」紀田順一郎
「幻影城」に連載していた「幻影館」をまとめた単行本として予告されていた。のち、「キネマ旬報」の連載とあわせて、1980年(昭55)に双葉社から「古典映画ロードショー」として刊行。「絃の聖域」栗本薫
「幻影城」1979年(昭54)5月号(No.51)に第六回までが掲載された連載長編。全面改稿後、1980年(昭55)に講談社より書き下ろし刊行され、第二回吉川英治文学新人賞を受賞。書き下ろし版は最初の構想と犯人まで異なるという。「さびしい死神」栗本薫
「幻影城ノベルス」の一冊として予告されていた単行本。銀座署シリーズの第一作。著作が多い作家だけに、その後の作品の原型になっていないとも限らないのだが、不明。「日本SF作家論」栗本薫
「幻影城評論研究叢書」の一冊として予告されていた書下し長編評論。題名から憶測して、「奇想天外」の連載の原型かもしれない。「骸草紙」小林久三
「幻影城ノベルス」の一冊として予告されていた単行本。1980年(昭55)に「むくろ草紙」と表題を変更し、角川書店より刊行。「「錆びた炎」の創作動機」小林久三
「幻影城」1977年5月号(No.30)に掲載されるとして、前月号の次号予告で掲載されていた。「日本推理作家書誌」島崎博
正式な刊行予告ではなく、「別冊幻影城創刊号 横溝正史集」や「幻影城」1977年7月号(No.32)の「幻影城サロン」で島崎博のライフワークとして紹介されている。内容は、「第一巻・作家別作品目録」「第二巻・作家別著書目録」「第三巻・探偵小説参考文献目録」「別巻・探偵雑誌総目録」。書き下しではなく、「幻影城」に発表していた書誌等をまとめたものであるという。また、「幻影城」1976年5月号(No.17)の「幻影城サロン」には「創刊XX周年の別冊付録として<幻影城>総索引を作りたいと思います」というコメントがある。「末期の餅」草野唯雄
「幻影城」1976年10月号(No.23)に掲載されるとして、前月号の次号予告に掲載されていた。「妖魔山大探検」高村信太郎
未刊行に終わったエンタテインメント誌「ブラックホール」創刊号に掲載されるはずだった短篇冒険小説。「偶という名の惨劇」竹本健治
「幻影城ノベルス」の一冊として予告されていた単行本。原稿は廃刊時に行方不明となったが、のちに発見され、竹本健治の手元に戻るが、未発表。「海外ミステリ便り・推理ゲームのすべて」田中潤二
「幻影城」1975年4月号(No.3)に掲載されるとして、前月号の次号予告で掲載されていた。「私とSF」種村李弘
「幻影城」1978年8月号(No.45)に掲載されるとして、前月号の次号予告で掲載されていた。「陳舜臣作家vs.評論家尾崎秀樹」
「幻影城」1978年5月号(No.43)に掲載されるとして、前月号の次号予告で掲載されていた。それ以降もたびたび予告されていたが、ついに掲載されることはなかった。「日本本格推理作家の系譜」津井手郁輝
「幻影城評論研究叢書」の一冊として予告されていた単行本。予告されていた目次からすると「幻影城」に発表していた探偵作家論をまとめたもの。「影深き朝に」筑波孔一郎
「幻影城ノベルス」の一冊として予告されていた単行本。「蓬田専介&木島逸平シリーズ」の第四作。「魔女は赤い爪をもつ」筑波孔一郎
未刊行に終わったエンタテインメント誌「ブラックホール」創刊号に掲載されるはずだった短篇推理小説。「怪談」都筑道夫
「幻影城」1979年1月号(No.50)に掲載されるとして、前月号の次号予告に掲載されていた。「探偵小説の解剖学」寺田裕
「幻影城評論研究叢書」の一冊として予告されていた書下し長編評論。「多すぎる証人-信一少年シリーズ-」天藤真
「幻影城ミステリ」の一冊として予告されていた単行本。「幻影城」に連載されていた連作短篇「遠きに目ありて」をまとめて刊行を予定していた。「幻影城ミステリ」は予告のみで一冊も刊行されなかった。信一少年シリーズは「遠きに目ありて」と題名を変更して、1981年(昭56)に大和書房から刊行。「幻想の視覚」友成純一
「幻影城評論研究叢書」の一冊として予告されていた書下し長編評論。「ゴシック・ロマンスと探偵小説」友成純一
「幻影城」1979年1月号(No.50)に掲載されるとして、前月号の次号予告に掲載されていた。「ブロッケンの白い輪」宮田亜佐
最終号である「幻影城」1979年(昭54)7月号(No.53)に次号予告として掲載されていた短篇。「取り締られた探偵小説」長谷川卓也。
「幻影城」1977年4月号(No.29)に掲載されるとして、前月号の次号予告で掲載されていた。「幻影城」増刊第三号「松本清張の世界」
江戸川乱歩、横溝正史に続く、「幻影城」増刊第三号として「幻影城」1977年7月号(No.32)の編集者断想で紹介された。編集者断想には「幻影城」増刊号か別冊に夢野久作がとりあげられた暁には松本清張の原稿が掲載されるとの記述もある。実際には「幻影城」増刊第三号は作家の特集ではなく、1978年1月号(No.39)に「全篇書下しこれが探偵小説だ!」として発刊された。「夕潮」日影丈吉
「幻影城ノベルス」の予告に掲載されていたが、「幻影城ノベルス」としてはついに未刊。最終号である「幻影城」1979年(昭54)7月号(No.53)に前編が掲載された。後編の原稿は廃刊時に行方不明となったが、のちに発見され、東京創元社より1990年(平2)に刊行。「捕物帳の系譜」武蔵野次郎
「幻影城評論研究叢書」の一冊として予告されていた書下し長編評論。幻影城ファン・クラブ「怪の会」出身の評論家・縄田一男氏に同名の著作があり、未刊行に終わった武蔵野次郎氏のこの本から題名を採ったのであれば面白いのだが、たぶん無関係。「書下し中編小説」横溝正史
「幻影城」1975年8月号(No.8)の「編集者断想」には「ついに横溝正史氏が新年号の巻末読切中篇を執筆して下さることになりました」とあったが、1975年12月号(No.12)の次号予告には「横溝氏の書下しを掲載する予定でしたが、都合により延期します」とコメントが記載されていた。新境地を開く奇妙な味の中篇100枚を途中まで書き上げられていたのだが、破棄されたという。「定本 金田一耕助の世界[資料編]」(創元推理倶楽部秋田分科会編)に掲載されたkashiba氏の説によるとこの予告に触発されて角川書店刊行の「野性時代」が横溝正史に働きかけ、「病院坂の首縊りの家」を連載してもらったという。ただし、「真説金田一耕助」の「金田一耕助最後の事件II」によると、「病院坂の首縊りの家」連載のきっかけとして、昭和40年頃に書きかけのまま中絶した短編怪奇小説が挙げられている。「真説金田一耕助」が「毎日新聞」に連載中は「幻影城」は継続中だったので、横溝正史はあえて真相を伏せ、時代を十年ほど前にずらしたのかもしれない。「書かでもの記」横溝正史
「幻影城」1976年8月号(No.21)から連載されていた自伝。完結後は函入上製本と、豪華限定本が予定されていた。「銀河のチェス・ゲーム」李家豊
「幻影城ノベルス」の一冊として予告されていた単行本。題名から憶測して、1982年(昭57)に田中芳樹名義で徳間書店「トクマノベルズ」より刊行された「銀河英雄伝説」の原型ではないかと推測される。「銀河英雄伝説」は1988年(昭63)に星雲賞を受賞。「菖蒲の舟」連城三紀彦
最終号である「幻影城」1979年(昭54)7月号(No.53)に次号予告として掲載されていた短篇。題名から憶測して、1980年(昭55)に「小説現代」に掲載された「戻り川心中」であると思われる。「戻り川心中」は1981年(昭56)に第34回日本推理作家協会賞短篇部門を受賞している。「花葬」連城三紀彦
「幻影城」1979年(昭54)1月号(No.50)に「連作・花葬」の第三話である「桔梗の宿」が掲載され、最終号である1979年(昭54)7月号(No.53)には次号予告として「菖蒲の舟」が掲載されていた。
その後、「連作・花葬」シリーズは「小説現代」に舞台を移して3作品が書き継がれたが、当初は全部で10作品が予定されており、最後の2作品は執筆されずに終わった。
単行本としては最後の2作品「花緋文字」「夕萩心中」と「幻影城」1978年(昭53)10月号(No.47)に掲載された「菊の塵」を除く5作品が、「戻り川心中」を表題作として、1980年(昭55)に講談社より刊行され、残りの作品は「夕萩心中」を表題作として、1985年(昭60)に講談社より刊行された。
「花葬」シリーズ全8編が一冊にまとめられたのは、1998年(平10)に角川春樹事務所「ハルキ文庫」から刊行された「戻り川心中」が最初である。「桜の舞」連城三紀彦
最終号である「幻影城」1979年7月号(No.53)に掲載されるとして、前月号の次号予告に掲載されていた。題名から判断して、書かれることがなかった幻の「花葬」シリーズの一編。■なお、本文章は日置耕司氏からお教えいただいた情報に多くを負っております。ありがとうございました。